展望タワーから見えるものは、木曽川、揖斐川、長良川、道路、バス、船、橋、アスレチック、 住宅、田んぼ、信号、噴水、ベンチ、神社、松のき、以上 です。僕たちは、かずみ、たかし、えいたです。
台風がきていますが、この前の大雨でも水害は起きたか。洪水による大きなひ害は、なかった。 木曽三川には、はいすいき場があって、ていぼうの内側にたまったみずを、ポンプの力によって、 外に出してひ害がおきないようにしています。 私たちの学校の近くの畑ではかぶを作っていますが低地ではどんな農作物を作っているか。 れんこんや、トマトや、キュウリや、果物です。 今でも低地の人々の家に船があるか。 まだ「あげ船」という船をつるしている家もありますが、今は少なくなってきました。 今まででもたくさんの人たちが水害に立ち向かった。
半田市立亀崎小学校の細田怜那です。 低地の様子(生活)はどんなじょうたいか。 神社から、見ると家の屋根しか見えないくらい低かったです。 てんぼうタワーから見えるものは、なにか。 木曽川、長良川、揖斐川、車、バス、人、神社、橋、家、道路です。 三つの水位のちがい木曽川の水位が一番高く、揖斐川の水位が一番低いため、 大雨が降ると木曽川から長良川に流れ込みさらに揖斐川の方へ流れ堤防の低かった 輪中地帯は、たびたびひ害をうけていました。
愛知県半田市立亀崎小学校の綾乃と友香です。 展望タワ−からは、木曽川、揖斐川、長良川、橋、アスレチック、 山、治水神社、岐阜県、三重県、千本松原、鈴鹿山脈、桑名市、愛知県、 水屋が見えました。 それと、足元のガラスからは、下の人達がとても、小さく見えました。
私たちは、亀崎小学校の神田 真央と高須 加奈です。 低地に住む人は、自分たちの住む土地をどう思っているのでしょうと言う質問にお答えします。 低地に住む人は、大きな川が3つもあって、とってもいい土地だとそこに住む人は、そう思っていると思います。 次は、今までの治水で一番苦労したことは何でしょうと言う質問です。 宝暦治水では、9月に始められた工事にむずかしいことがありました。 それは、木曽川と揖斐川の流れを分ける油島しめきり工事と、長良川の水が一定の量を超えた時だけ水が、 おおぐれ川に流れるようにするおおぐれ洗ぜきです。 また、明治時代の治水工事のため、移転した戸数は1800戸、 つぶされた土地は29平方キロメ−トルにもなったそうです。千葉県大山口小のひろあき君へ 愛知県半田市立亀崎小学校の島向健太、坂本一美、真保武史です。 海津町の人たちは、水田、ハス田を作っています。れんこんには、月に、 1、2度、ひりょうをまいたりアブラムシが、ふえないように薬をまき ます。米作りもくろうしています。 れんこん作りの始まり 今から、150年ぐらい前に立田村のお坊さんが近江のくに滋賀県から ハスの種をもちかえり、うえたのが始まりと言われている。 千葉大山口小学校の、あかねちゃんへ 愛知県半田市立亀小学校の島津と橋本です。 畑 は、あります。とくに、れんこん作りが、さかんです。 米やトマトやきゅうりなども作られています。 低地にも畑は作ることができます。 千葉大山口小学校の4年のしょう君へ 愛知県半田市立亀崎小学校のみゆきっちとさやピーです。 大雨の洪水にそなえて、パトロール隊の人たちや消ぼうだんの人たちで じっさいにパトロールをしたり、土嚢を積んで堤防を守る訓練をしてい ます。 千葉大山口小のひかりさんへ 亀小の、うめピ−とかなピ−とまおっちで〜す! 輪中のくらしはたいへんですか、と言う質問にこたえます。 とてもたいへんです。たびたび洪水がおこります。 洪水の時には水屋に非難する家もあります。水屋には、米やみそ、 しょう油などの非常用の食べ物が日ごろから用意されています。 のき下には、避難用の舟(上げ舟)がつりさげられています。 しょうくんへ 亀崎小の龍輝と隼人と仮さんです。 海津町の水害の被害の記録を教えてください。と言う質問に答えます。 福原輪中の水害 1960年の大雨で、堤防が切れる。 ・流された家が1けん ・床上まで水がきた家が27件です。
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1960年の水害です。 堤防より家の屋根の方が低いです。
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