新美南吉について

新美南吉

新美南吉はどんな家に生まれたの?
本名は渡辺正八といい、大正2年(1913)年に半田市岩滑(やなべ)に生まれました。
4歳の時にお母さんが亡くなり、6歳から新しいお母さんに育てられました。
お父さんは畳職人で、新しいお母さんは下駄(げた)、雑貨などを売っていました。
8歳のときに、亡くなった本当のお母さんの実家(新美家)に養子に出されましたが、さみしさのあまり、5ヶ月でお父さんのもとに帰ってきました。
この子どものころのさびしい体験は南吉の作品によくあらわれています。
お話はいつごろから作っていたの?
大正15年(1926)県立半田中学校へ入学しました。
2年生ごろから多くの本を読み、童謡を作りはじめました。4年生では童謡122編、童話15編、詩33編を作りました。
ごんぎつねはいつごろできたの?
中学校を卒業してから1学期だけ、岩滑(やなべ)の小学校の先生をしました。そのとき子どもたちに「ごん狐」の話をしたといいます。また、「赤い鳥」という雑誌に「正坊とくろ」「ごん狐」などがのりました。
東京ではどんな勉強をしたの?
昭和7年(1932)東京外国語学校英文科(今の東京外国語大学)に入学しました。東京では、日本の有名な詩人や作家などとも知り合い、いっしょうけんめいに文学の勉強をしました。そのころから、体のよわかった南吉は少しずつ体をこわして病気になっていきました。
生活はくるしかったの?
昭和11年(1936)東京外国語学校を卒業してつとめはじめましたが、病気が重くなったので岩滑(やなべ)に帰ってきました。病気とたたかいながら、河和小学校などにつとめましたが、生活は苦しいものでした。
昭和13年(1938)安城高等女学校(今の安城高校)の先生になりました。生活はこのころやっと安定し、たくさんの童話や詩を作りました。
いつ亡くなったの?
昭和18年(1943)しだいに病気が重くなり、その3月に29歳7ヶ月の若さで亡くなりました。
南吉の童話の特色は?
情景描写のすばらしさ、信頼の大切さを訴える温かみのあるテーマ、郷土の地方や風習が多く取り入れられていることなどがあげられます。

ごんぎつねのページに戻る
地域紹介のページに戻る
ホームページにもどる